公益財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念 国際草の根交流センター
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理事長ご挨拶

21世紀に入って、私達の暮らす地球社会はグローバル化が一層進み、経済・文化・政治など、あらゆる分野で国境を越えた交流や連携が日常茶飯事になってきています。そのような中、文化や宗教の相違から生ずる誤解や紛争を避け、お互いに協力して繁栄と幸福を追求することが出来る国際関係を実現する為には、各国の市民同士が積極的に広い分野での交流を深め、真の意味での相互理解を増進することが最も大切ではないでしょうか。
日本は19世紀末にそれまでの孤立を脱し、20世紀に入ってから国際的に活躍するようになりましたが、国全体としてはこのような市民レベルでの交流の重要性を十分に認識せず、それが戦争とか経済摩擦などの遠因になったという説もあります。しかし、海外へ渡って外国人との友情を育み、価値観や文化を学びあい、お互いに啓蒙しあうことによって、国際社会の土台作りに大きく貢献してきた日本人もいたのです。
特にアメリカとの間ではこのような例は多くみられ、その中には、現在に至るまで途絶えることなく、特筆すべき国際交流の歴史を刻んできた例もみられます。私自身、アメリカに合計10年以上滞在しましたが、経済摩擦のさなかであっても、日本人と協力して社会の為に尽くそうという多くのアメリカ人の慈善心や人類愛の精神に、大いに啓蒙されました。また、それに呼応して多くの日本の人たちが慈善事業に協力し、アメリカ人から高く評価された例もみて参りました。
日米交流の原点は、1841年のジョン万次郎とホイットフィールド船長との出逢いに象徴されます。公益財団法人国際草の根交流センター(CIE)では、日本の国際化に大きく寄与した彼らの歴史的出逢いを尊び、二人の間に育まれた相互理解・人類愛の精神を、日米両国を始めとする現代の国際社会に広めていくべきだと考えています。CIEはこの使命に基づき、市民同士の草の根交流を推進することにより、平和で友好的な国際社会を実現するべく、努力してまいります。


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ジョン万次郎の紹介
The friendship between John Manjiro and  Captain Whitfield marks the beginning of  Japan-America grassroots exchange

1841年、遭難して太平洋の孤島に漂着した5人の日本人漁師が、アメリカの捕鯨船によって助けられました。その中に、万次郎という14歳の少年がいました。聡明で気立てのよい万次郎は、すぐにアメリカ人の乗組員たちの間で人気者になりました。万次郎は彼らから「ジョン・マン」というニックネームをもらい、彼らと一緒にマサチューセッツ州のフェアヘブンに渡り、アメリカの教育を受けました。万次郎は捕鯨船の船長だったウィリアム・H・ホイットフィールド船長に世話をしてもらいながら、英語や科学や航海術を学んだだけでなく、自由、民主主義、寛容の精神等、アメリカの文化・価値観を学びました。
当時、日本は徳川幕府の政権下で鎖国体制を敷いており、国外へ出ることは死刑に値する重罪でした。しかし万次郎は、ホイットフィールド船長やフェアヘブンでの生活を通して享受したアメリカの文明と精神を日本に伝えたい、という熱い思いから、10年間のアメリカ生活の後、日本への帰国を決意しました。万次郎が帰国して間もなく、ペリー提督が来航し開国を要求、鎖国時代は終焉を迎えました。この時、万次郎は、日本の開国及びその後のアメリカ技術文化の紹介に重要な役割を果たしました。
160年経った今なお、ジョン万次郎とホイットフィールド船長の友情は、その子孫の代まで引き継がれています。毎年ホイットフィールド家と中濱家は、CIEが主催する草の根交流サミット大会で、草の根交流の可能性と意義の大きさを私たちに伝え続けています。

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