サミット大会とは?

ペリー提督子孫、ペリー博士の日本体験記2013
2009年より、ペリー提督ご子孫のマシュー・カリブレイス・ペリー博士は草の根交流サミット大会に毎年参加し、その体験を毎回エッセイに書きつづっています。
今年も「日米草の根交流サミット2013しまね大会」、またその後に訪問した仙台、高知、横浜での体験(写真入り)が事務局に届きました。
英語のままですが、興味深い内容ですので、以下ご紹介します。

SHIMANE PREFECTURE - LAND OF MYTHS

Shimane Prefecture is the land of myths and it is said that more Japanese myths originate in this area than any other area in Japan. I learned about many of these myths while attending a cultural exchange program called Grassroots Summit and sponsored by the Center of International Exchange in Tokyo. Certainly, other countries have myths, but what amazed me was the currency of Japanese myths in their everyday surroundings. I came to enjoy hearing about these myths and seeing the enjoyment of my hosts and guides in sharing myths with me.

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TOMB OF THE UNBORN BABIES

When I was in Matsue, Japan, my host family, Ichiro and Takiko Yoshino, escorted me to a coastal area and, after a short but wet boat ride, we visited a cave (Kyu-kukedo) that is called the tomb of the unborn babies. The cave contains hundreds of little statues, toys, and flowers left by many visitors. There also were hundreds of small piles of stones that are said to be placed at night by the children for their bereaved parents and siblings.

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THE TSUNAMI AND THE RECOVERY

When I registered for the 2013 Grassroots Summit in Shimane Prefecture, Japan, I also registered for the post-summit trip to Sendai. This city is in Miyagi Prefecture, where I had visited in 2009, and I was eager to revisit old friends and to see the damage done by the tsunami that struck the area on March 11, 2011. After the disaster I tried to contact my 2009 host family, Kou and Kazue Sato, in Matsuyama.

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MEETING MANJIRO ENTHUSIASTS IN KOCHI

Sometimes things just work out perfectly!! My trip to Japan in July 2013 was mainly planned to participate in the Shimane Prefecture Grassroots Summit sponsored by the John Manjiro Whitfield Commemorative Center for International Exchange, based in Tokyo. The meetings took place in Matsue City, where I also had my exciting homestay. Months before my trip I had received an invitation from Dr. Joel Joos inviting me to the University of Kochi to give a lecture on Commodore Perry.

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YOKOHAMA: EXPLORING COMMODORE PERRY'S PORT OF CHOICE

While I was making plans to attend the Grassroots Summit in Shimane Prefecture, Japan, I received an email message from Mr. Koichi Imazu, a friend of mine since my 2011 trip to Japan. He asked if I could possibly extend my trip so I could speak to the Yokohama Kurofune (Black Ship) Research Society. Although I already had a full trip schedule, I could not turn down the opportunity to speak to this prestigious group, meet Koichi again, and to see sites visited by Commodore Perry.

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SAMURAI WARRIORS (EDO PERIOD)

My trips to Japan in recent years, as part of the cultural exchange sponsored by the Center for International Exchange in Tokyo, have increased my interest in samurai and the influence the samurai period had on Japan. The samurai warriors supported different feudal lords (daimyos) throughout Japan and for centuries bitter fighting occurred between different fiefdoms. The Edo Period in Japan ranged from 1603 to 1868 when the Tokugawa Shogunate period ended and the Emperor was restored to power.

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高知大会(2011年)参加者の感想
ゲイリー&ジェニファー・ウォルシュさん

必ず高知に戻ります
僕は今回が4回目のサミット大会への参加でした。今回初めて妻も一緒に参加できて、僕にとっても特別な旅でした。 僕たちは他の参加者、ボランティアそしてホストファミリーと出会って素晴らしい時を過ごしました。僕は今までに訪れた日本のなかで、高知がいちばん好きになりました。妻といっしょに必ず高知に戻り、県内の隅々を旅行するつもりです。 実は自分たちが選んだ分科会ではなかったのですが、中土佐町の久礼やお世話になったホストファミリー以上に楽しい場所は考えられません。これからもお世話になったみなさんと連絡をとり、また訪ねたいと思います。サミット大会では他では味わえない強烈で忘れられない経験ができます。


エリン・ロバーツさん

人生で最良の経験のひとつ
私の高知訪問はすべての面で素晴らしいものでした。人生のなかで最もよかった経験のひとつです。ホストファミリーは、信じられないほど親切で心が広く、すてきなご自宅で私を迎えてくれました。庭で採れた野菜を使った家庭料理を堪能し、書道を楽しみ、いっしょに出かけました。高知城へのプライベートツアーもありました。さらに、私のためにパーティーも開いてくれました。私は彼ら以上に素晴らしいホストファミリーを知りません。このホームステイが私の18日間の日本滞在中のハイライトでした。このような機会をつくってくれたすべてのみなさんと私のホストファミリーに感謝します。


ブラディ・ハンソンさん

日本-僕の人生を変えた体験
僕にとって今回が初めての海外旅行そして来日でした。小さい頃から日本に行くことが夢だった僕にとって、サミット大会を知った時、夢がかなったと思いました。
オープニングセレモニーでのパフォーマンスの躍動感と素晴らしさにも感激しました。レセプションでは、高知で初めての友人ができ、たこやきを作らせてもらい和気あいあいとした雰囲気を心から楽しみました。 土佐清水への道中や分科会でもいろいろなところを訪ねましたが、どこもが息をのむような美しさで言葉では言い表せません。初めてホストファミリーに会ったときは気持ちの準備ができておらず、とても緊張した自己紹介になりました。川崎さんのお宅に連れていってもらい、次の日からの数日間、香南市の神社や記念碑や高知城や尾長鶏センターとたくさんのところに連れていってもらいました。僕はまるで川崎さん家の子どもの一人のようでした。僕の日本語は本当にまだまだですが、子どもたちがどんどん僕に話しかけてくれたのがとてもよかったです。
ある日、朝起きるとお母さんが台所で朝ごはんの準備をしていたので、いっしょに手伝いました。子どもたちとはビデオゲームで遊んだり、話したりして絆が深まっていくのを感じました。川崎さんご一家は、全員で僕とコミュニケーションを図ろうと努力してくれました。そのなかでもお父さんが膝を付き合わせて2ヶ国語の辞書を使いながら過ごしてくれたことを思い出します。
閉会式の後、ホテルに戻るバスを待っている間、家族と別れなければならなくなったとき、涙をこらえるのに必死でした。数日間をいっしょに過ごしただけですが、僕にとって川崎さん一家はほんとうの家族です。このような機会を与えてもらって、ほんとうに感謝しています。ちがう言葉を話すけれど、ほんとうに素晴らしい家族とつながりをもつことができました。
日本は僕が想像していたとおりの、それ以上の素晴らしい国でした。僕の夢の第1歩を踏み出した気分です。帰国後は日本語が上手に話せるように一生懸命勉強しています。そして、僕の夢はまた必ず日本に行って、できればずっと高知で暮らしたいです。
日本を初めて訪れてたくさんの素敵な人たちと出会って、僕に日本の暮らしを体験させてもらい、人生の方向性を見つける機会を与えてもらったことにほんとうに感謝しています。ありがとうございました。


川崎正忠さん (香南市分科会ホストファミリー)

辞書を片手にコミュニケーション
「来た、来た!」緑の瞳、ブロンドの髪、長身のハンサムボーイだ。家族から笑みがこぼれた。遊覧船から龍馬像を見た。高知城から町を見た。はりまや橋で写真を撮った。弥太郎邸の庭石の日本地図を見た。他にもいっぱい見た。彼は獣医を目指しているそうな。私の孫も獣医を目指して高知農業高校畜産科に今年入学した。二人共なれたら良いなと思った。四番目は幼稚園児で女の子だが風呂上がりに裸で彼の前を右左。米国のお客様はどう思ったでしょう。家族皆、辞書を片手に悪戦苦闘の3泊4日。でも、とっても楽しかった。良い体験が出来た。彼はブラディ・ハンソン君といった。グッドラック。


安藤暁子さん (通訳ボランティア)

達成感と充実感で溢れました
満面の笑顔と共にいただいた「とても素晴らしい体験ができた」、「高知が大好きになった」、「人々の温かさとおもてなしに感動した」との声。
これらを聞いた瞬間、私の心は達成感と充実感で溢れました。これこそ私のボランティア活動の原動力。疲れを吹き飛ばし、新たな活動へと導いてくれる魔法の言葉です。
昨年、21回大会が高知で開催されると知り、急遽サンフランシスコ大会への参加を決めました。そこでボランティアの方々のきめこまやかなご配慮に感動し、それ以来、ジョン万次郎の故郷である高知ではどのようなおもてなしができるだろうかと日々様々な考えが頭の中を巡っていました。
大会期間中は、どこまでも続く山道をひたすらバスで移動する時も、地域分科会で未知の体験をする時も、参加者の皆さんは私の言葉に熱心に耳を傾けてくださり、時には助け舟までと感謝することもしばしば…。私の方こそとても遣り甲斐を感じながら楽しい時を過ごすことができました。
また、私はこのボランティアを通じて、日米の草の根交流が広く深く浸透していることを感じ、お互いの国の習慣や人柄を知り、良い所を学び、また新たな絆を結んでいると実感しました。
この日米草の根交流サミット大会が今後も多くの人々に感動を与えてくれることを心から期待しています。


キャリー・モローさん ※アマチ保存会会報より一部抜粋

日本への旅
コロラド州グラナダ高校のアマチ保存部の部員5名と付添者が6月27日から7月4日まで、ジョン万次郎の生誕地である四国の高知県で開催された「第21回日米草の根交流サミット・高知大会」に参加しました。
最初の2日間はオープニングセレモニーが開かれた足摺岬のホテルに泊まり、有名な海の景色を眺めながら、日本の温泉や見たことのないたくさんの食べものに挑戦しました。そして土佐清水市内の高校に行き、日本の伝統楽器にも挑戦しました。
3日目から5人はバラバラになり、5つの家庭で3泊4日のホームステイが始まりました。消防署を見学したり、寿司屋や商店街にホストファミリーと出かけたりしました。
日中は5人いっしょに海のギャラリーでキャンドルをつくったり、ジョン万次郎資料館に行ったり、彼の銅像や生家を見に行きました。また家に戻ると家族といっしょに花火も楽しみました。
土佐清水での最後の日は、お母さんたちといっしょにサニーマートで買い出しに行き、その間にお父さんたちが浜辺で料理の準備をしてくれていました。全員が浜辺で土佐流のバーベキューを堪能し、海水浴を楽しみました。5人のうちの2人は生まれて初めての海でした。
浜辺ではホストファミリーの兄弟たちとオーストラリアのアダムさん(高校に勤務)とフリスビーゲームをして盛り上がりました。そして、最後の夜は素敵なレストランでホストファミリーと私たち全員が生のステージを楽しみました。最後は5人全員にゆかたのプレゼントをいただきました。
次の日、他の参加者はホストファミリーとお別れをしている頃、少しでも長くいっしょにいたいからと、土佐清水からクロージングセレモニーが開かれる高知市内の牧野植物園まで家族が車で送ってくれました。セレモニーが終わり、バスでホテルに戻るときには、涙が出るほどつらかったです。

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サンフランシスコ大会(2010年)参加者の感想
西村厚志さん

たくさんのことを学びました
草の根交流で「バスボイコット」という言葉を知った。それは、黒人はバスに乗せてもらえない差別を受けていたということだ。たった40数年前のことだ。相当つらい差別がたくさんあったと思う。マーティン・ルーサー・キングゆかりの学校へ行くスケジュールをきっかけに、僕はこのことを考えることができた。 ステイ先のご両親と、ぼくと同じ年の双子ピーターとエリックは、とても僕の事を大切にしてくれた。ありがとう。何もかもが楽しいホームステイ・プログラムだった。 お世話になったみなさん、ほんとうにありがとうございました。


大上美也子さん

人生の宝物です
ホストファミリーのチャンさんたちと過ごした時間は、私の人生の宝物です。チャンさん家族を通して、中国系アメリカ人、日系アメリカ人の歴史に触れ、彼らが自分たちの親や祖父母を大事に思いながら新しい世代の生き方に自信をもって、堂々とそして楽しく生活をしていることがよく分かりました。家族の優しさにすっかり甘えて夜遅くまで話したり、ショッピング、レストラン、ビーチやツインピークスなど各所に詳しい説明をしてもらいながら、ドライブしてもらったことは本当にいい時間でした。今ではサンフランシスコの地図がよく分かるようになりました。2人の息子さんたちの成長を見守る温かいチャン一家と、子どもたちの学校やスポーツ活動を通して育まれた地域の人同士の関係は、''愛''と''笑顔''と''hug''に満ちていました。みなさんの親切なもてなしに心から感謝します。ほんとうにお世話になりました。


相澤多恵子さん

私の見たサンフランシスコ事情2010
この日米草の根交流サミットは、全て開催地のボランティアスタッフによって運営される事業です。サンフランシスコ(SF)でのオープニング式典開催後には地域分科会といわれるホームステイプログラムがベイエリア10ヶ所の地域に分かれて実施されました。
ガイドの柴田さんは大学で教鞭をとる一方、小学校でもボランティアとして子どもたちに教えていたり、子供達の毎日の学校への送迎は当たり前で、PTAは教師の任命まで権限を持つというから驚きです。
またSFは家賃が高いので学生に敬遠されているそうですが、多くの家は築100年前後の古い建物で所有者が大切に修理を繰り返して住んでいるのです。
最近の松島でもレンタサイクルが人気です。SFは大きなレンタサイクルの店が町内にあり、坂の多い街にもかかわらずたくさんの人々が自転車で観光を楽しんでいました。環境に配慮した自転車での観光はすでに欧米では当たり前ですが、私の住む宮城県松島でも本格的な自転車観光道路の整備も必要な時期ではないかと思います。
今回の旅は目からうろこのような新しい発見がたくさんあり、観光地SFのイメージが以前とは確実に私の中で変化しました。それは今回地元の人々との親密な交流が出来たからこそだと思います。私は松島に住んでいますが、新しいフェイスtoフェイスの国際観光都市松島を目指す高い志を持ち、四半世紀に渡る「松島善意通訳者の会」の会員の一人としてボランティアとしてのキャリアを有効活用してさらなる会の前進をはかりたいという気持ちを新たにしてくれました。


ポテンザ・ウィンフレッドさん (ソノマ郡分科会ホストファミリー)

いちばんの収穫は友情を育んだこと
ソノマ郡に素敵なゲストを迎えてからもう1年が過ぎたとは信じられません。
サミット大会事務局会であるメグミさんとサミット大会にかかわり始めた当初、この大会が自分の人生においてどんなに重要なものになるかまったく想像していませんでした。
大会にかかわったホストファミリーの一人ひとりが同じ気持ちをもっています。
私たちは日本からの参加者が大好きでした。


みんなでいっしょに海岸線をドライブし、ビーチを歩き、ワイナリーを探訪し、アメリカスギをみて冒険しました。(「スヌーピー、チャーリーブラウン」の作者である)チャールス・シュルツ博物館を訪ね、ハレック・ヴィンヤードワインの農場でのバーベキュー、ロシアンリバー河口にあるインドレストランでのランチ。
でも、いちばんの収穫は友情を育んだこと。それも言葉を超えて。
これ以上素敵なことはありません。最初から最後までのすべての経験がいつも私の心のなかにあります。


麻生菜穂美さん

咸臨丸のご縁
教科書に載っていた「太平洋を渡る咸臨丸」の挿絵は多くの方々の記憶に残っているかと思います。勝海舟を船長とし幕府の船として初めて太平洋を往復したこと、ジョン万次郎が大きな役割を果たしたことなど、草の根サミットに関わった方々ならよくご存じの事でしょう。その咸臨丸の最後の航海は1871年です。私の実家は伊達政宗第一家臣片倉小十郎公菩提寺ですが、その白石片倉家の旧臣401名を乗せ、寒風沢(さぶさわ・現在の塩釜市)を出港、北海道小樽を目指しました。ところがサラキ岬で暴風雨により座礁、破船沈没してしまいます。幸い人々は当時の木古内の方々に助けられ、現在の札幌市白石区を開拓していきます。先月「咸臨丸終焉140周年記念式典」がサラキ岬で盛大に開催されました。このようにご先祖様と縁の深い咸臨丸の、これまた縁のあるサンフランシスコを草の根サミット大会で訪れることが出来たことは、私にとって何かとても不思議な繋がりを感じるものでした。
実家の寺に住む小学6年生の甥を連れて参加しましたが、コントラ・コスタのホストファミリーと過ごした時間も含め、彼にとっても大変貴重な機会だったようです。運営の皆様に感謝しつつ、また咸臨丸が繋いでくれたご縁の皆様との再会を心から願ってやみません。


ジニー・イチムラさん (ホストファミリー、2011年高知大会参加者)

サンフランシスコと高知でサミット体験
私たちは2010年のサンフランシスコ・ベイエリア大会にホストファミリーとして初めてサミット大会に参加しました。街の様子や自分たちの暮らしを日本から来た新しい友達、仙台から来た母娘に紹介することは、ほんとうに自分たちにとって充実した経験でした。家にも2人の娘がいるので、完璧な組み合わせでした。娘たちは言葉の壁を越え、すぐに友達になり、私たちはその後もずっと連絡を取り続け、この夏にも私たちを再び訪ねてくれたほどです。
素晴らしい昨年の経験から、私たちは2011年のサミット大会に参加して高知へ行こうという気持ちが湧きました。日本は初めてではなかったのですが、今回はほんとうに新しい経験ばかりで、観光客が見たり体験したりしたことがないようなユニークな機会が盛りだくさんでした。地域分科会(ホームステイ・プログラム)が私たち全員にとってのハイライトでした。ホストファミリーと地域分科会のボランティアのみなさんとほんとうに楽しい時間を過ごしました。

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その他の大会参加者の感想
宮城大会(2009年)参加者の感想
ケリー・モリカワさん

いつかアメリカにも来てください!
宮城は、多くの意味で、美しく、また魅力的なところでした。実は、私たちは「栗原」を希望していた訳ではなかったのですが、今では栗原のプログラムに参加できたことを心から喜んでいます。ホストファミリーは、ダンスや園芸など、私たちと多く の同じ趣味を持ち合わせていて、ぴったりとマッチしていましたし、他にもたくさんの方々と住所やe-mailのアドレスを交換し、良い友人を作ることができました。私たちは、また必ずや日本を訪問したいと思っています。なぜなら、日本にたくさんの友人ができたのですから!
日本のお友達にも、いつの日かアメリカに来ていただきたいと思います。


ジョー・バレットさん

家族の一員に
ホームステイは真に意義深い体験でしたし、他のプログラムもよく構成されていて心から楽しみました。ホームステイでは、最初は「お客さま」として歓迎を受けましたが、最後は「家族の一員」になっていました。一日を終えて帰ると、セツコさんは私を「お帰り」と迎えてくださり、4日目にはキヨシさんは私を「兄貴」と読んでいました。それくらい親しい友人になっていたのです。


ケンタッキー大会(2008年)参加者の感想
エイミー・ジャックマンさん (ホストファミリー)

人生が変わる体験
ユウキはまだ幼くて、英語が話せなかったので、最初の夜はどうしたものかと思いました。でも、二日目の夕飯のときには、義理の家族や日本人の友人も来て手助けをしてくれました。我が家にとって人生が変わるような経験でした。日本からの家族と過ごした週末は忘れることができないでしょう。話す言葉が違っていてもこんなに親密な関係になれるのは驚くべきことだと思いました。


大木和子さん

別れはお互いに涙
オープニング・セレモニーでは、ホストのロイとリンダが私の名前を書いた大きな名札を胸につけて私を探してくれ、感激の初対面となりました。リンダはポケット英和辞典、私は電子辞書・筆談でしのいだ時間もありましたが、リンダのこまやかな気配りに充分想いが伝わって、別れはお互いに涙。彼女の大きな目に宿った涙が、なつかしく思い出されます。貴重な体験をしました。


能登大会(2007年)参加者の感想
中川洋さん (志賀町分科会キーパーソン)

80歳の母も
あわただしくも実に楽しい夢のような4日間だった。一番印象的だったのは、今年80歳になるわが母がゲストのバーバラと話をしている姿をみたことだ。もちろん母はまったく英語が話せない。バーバラは英語で、母は日本語で話をしながらもなぜかお互いの言いたいことは分かっている様子なのだ。やはり人間言葉などなくても心と心はつながるものなのだ。おかげで最後の見送りの時には涙が出るほど、別れがつらかった。来年はぜひケンタッキーに参加したいと思っている。もちろん志賀町のみんなを引き連れて。


カール・グスタフ・フィンストロムさん

孫娘と参加
能登大会は私が参加する5回目の日本の大会です。今年、私は一番上の孫娘をこの大会に参加させました。2年前には一番上の孫息子を連れてきました。二人とも、日本の人々の温かさ、景色の美しさ、そしてすばらしい文化にとても感動していました。二人とも日本の歴史や文化に関心を持ち、日本語を習いたいと思ってくれるまでになり、私は本当に嬉しく思っています。最後にもう一点。私達参加者は皆、3月の能登半島地震から力を合わせて復興に立ち上がった能登の方々の姿に、本当に感動しました。

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