テキサン達のハットとブーツ [2012.1.31]


昨年11月末から12月初旬にかけて、中家由紀子事業部長とともにテキサスに出張してきました。
テキサスはでかい!!アメリカではアラスカ州に続いて2番目に大きな州であり、日本の2倍の面積があります。そのせいか、テキサン(テキサスの人をこう呼びます)は、心が広くホスピタリティにあふれ、大きなことが大好きなようです。「ノース・テキサス大会もでっかくやろう」とは、現地の大会副運営委員長で、在ダラス日本名誉総領事であるジョン・スティック氏の言。日本の皆さん、ぜひ参加しましょうね(^v^)!

さて、テキサスにいて他州と異なるなぁと思うのは、日常的にカウボーイハットをかぶったり、ウェスタンブーツをはいたりしている人たちが結構いること。テキサン達は、カウボーイ、カウガールの文化をとても大事にしているようです。カウボーイとカウガールの「殿堂」もありますし、博物館もあります。他州の人たちは、「カウボーイハットなんて恥ずかしいよ」という人が多いようですが、テキサンは違います。テキサスでは、カウボーイハットは彼らの誇りであり、フロンティア精神にあふれる古き良きアメリカの象徴なのかもしれません。


ノース・テキサス大会のオープニング・セレモニーが開催されるストックヤード地区は、こうしたカウボーイ、カウガールに今でも会うことができる場所で、西部劇さながらのタイムスリップしたかのような街並みです。ここには、芸術的なカウボーイハットとウェスタンブーツを売るお店もあります。その美しさに比例し、お値段にもすばらしいものがありますが、おそらく世界でここにしかない逸品揃いです。お財布に余裕のある方はお求めいただいたら良いと思いますが、そうでない方(私のような)も、見るだけで十分に楽しめます。大会では、他州と違うテキサス文化にたっぷり浸ってください。

(財)国際草の根交流センター 事務局長
轟木 ひろ子(洋子)

前のページへ戻る  このページの先頭へ


テキサス豆知識 [2011.10.11]


来年のノース・テキサス大会に向けて、これまで3度ダラス・フォートワース地域を訪問する機会がありました。その度に新しい発見をしていますが、そのテキサスに関するちょっとした豆知識をご紹介します。

テキサスは大統領の名産地?

テキサス州は第二次世界大戦後、4人の大統領を輩出しました。そして、現在のテキサス州知事リック・ペリー氏も、来年(2012年)の大統領選の共和党候補者の一人になっています。来年の草の根サミット大会は大統領選を間近に控えた時期。もちろん、大会までに状況は変化していることでしょうが、いずれにしても大統領選の燃える雰囲気を味わえるはずです。



テキサス州の旗「ローンスター」

テキサス州の旗は「一つ星」。英語ではローンスターと呼ばれています。以前は独立した共和国だったテキサス。その時代の誇りを受け継いでいる旗です。テキサスは「ローンスター・ステート」とも呼ばれています。

この夏、ノース・テキサスは異常気象でした

今年の夏(2011年)、ダラス・フォートワース地域では70日間も華氏100度(摂氏37.7度)を超える異常日が続き、家畜が食む草が枯れ、山火事が多発するなど大きな被害が出ました。ただ、高温多湿の日本と異なり、ノース・テキサスでは乾燥しているために汗をあまりかきません。日本の蒸し暑さとはちょっと違う種類の暑さです。来年の大会は8月末から。いつもの年なら、少し気温も下がってくる時期です。「今年が暑すぎたから、来年は涼しいんじゃないかなぁ」と現地の方々は希望を込めておっしゃっています。



(財)国際草の根交流センター 事務局長
轟木 ひろ子(洋子)

前のページへ戻る  このページの先頭へ


3.11(東日本大震災)の衝撃 [2011.6.17]


米日カウンシル(US−JC)主催のシンポジウムが、5月30日に経団連会館で開催されたので傍聴してきました。
著名なダニエル・イノウエ上院議員をはじめ、ルース駐日大使、松本外務大臣他、両国の政府、経済界の要人が多数参加してのシンポジウムでした。
イノウエ上院議員は、「9.11は歴史的な一日だった。しかし、東日本大震災の起きた3.11は、10年後、100年後にも思い起こされる人類の生き方、価値観をも変えうる、9.11を超えるような重要な歴史的な一日だ。日米関係においては、両国が緊密に連携して困難を克服していくことの重要さに気づき、日本の安定は、アジアの安定に、そして世界の安定に不可欠の条件であることを再確認した。日米の安定した関係を構築していくのは、政治家、外交専門家だけではなく、今後は民間の草の根交流がより一層重要である。」と、今後の日米の草の根レベルの交流の重要性を強調されました。

経済界のトップは「東北の被災地に行って、日本の若者に対する評価が変わった。従来は一見軟弱に見える若者に日本の将来を委ねることに不安を感じることもあったが、ボランティアとして被災地に飛び込み、苦労を自らかってでも奮闘している若者の姿を見て、大変感銘するとともに、大いに期待したい」と述べられました。

6月3日には、昨年のサンフランシスコ(SF)草の根サミット大会の開会式で司会をされたジャン・ヤネヒロ氏(著名な米国のTVニュースキャスター)が、東北の被災地を訪れたいということで宮城県を案内しました。
「TVの映像や新聞のニュースなどで十分に地震と津波の恐怖について理解していたつもりだった」というヤネヒロ氏は、津波が押し寄せた高さ約25メートルの高台に立ち、女川町の被災地を見渡して、あらためて自然の脅威に打ちのめされ、被害の大きさに絶句していました。

そして、「帰国したら、この大災害にも負けることなく日本は元気に頑張っている、日本に行き激励しようとのメッセージを発信したい」、と話されました。

いったい、3.11は日本のどんなターニングポイントになっていくのでしょうか。
いずれにしても、これからの日米関係、そして日本の若者の将来にとって重要な出来事になることは間違いありません。
草の根交流を促進しているCIEの一員としては、不幸な出来事ではありましたが、日米の市民の絆が深まる機会になることを希望し、交流事業を継続していきたいと思います。

シニア・アドバイザー
森 信之

前のページへ戻る  このページの先頭へ


CIE-USが設立10周年を迎える [2011.2.4]


2001年にCIEの米国におけるカウンターパートとしてコロラド・スプリングに設立されたCIE-USの最近の状況について、以下報告いたします。

1)全米日米協会連合(NAJAS)と業務提携締結(2011年1月)
草の根組織として補完的なミッションを有するNAJASの経営管理能力を活用し、北米におけるCIE-USの一層の基盤を強化を図るために、NAJASと業務提携(MOU)を締結。
参考:NAJASは北米にある日米協会37団体の連合体で、1979年設立。
CIEのウッド理事長がNAJASの副会長に就任 (2010年)

2)事務所移転(2011年1月)
NAJASとの連携により、CIE-US事業の益々の拡大・発展を期し、運営事務所をコロラド・スプリングス市から、首都ワシントンのNAJASの事務所内に移転

3)新役員5名就任(2010年12月)
現役員のリチャード・ウッド(理事長)、トム・ジェームス(財務役)、森信之(秘書役)に加えて、以下5名が役員就任
・ウイリアム ファレル (全米日米協会連合会長)
・ポール 丸山 (南コロラド日米協会理事長、第6&16回サミット開催地)
・ピーター グリーリ (ボストン日本協会理事長、第14回サミット開催地)
・マット クレブス (ケンタッキー日米協会事務局長、第18回サミット開催地)
・テッド 内田 (鹿児島県北米移住者協会会長、第20回サミット大会募金部長)


4)米日財団(The United States-Japan Foundation)の助成
日米の草の根活動の基盤強化のために助成金を申請し、この度2011年分として$25,000の助成を受けた。

(財)国際草の根交流センター 事務局長
森 信之
前のページへ戻る  このページの先頭へ

第21回 高知サミット大会、現在準備進行中! [2010.10.28]


2011年の第21回日米草の根交流サミット大会は、高知で開催されます。日程は6月末からの約一週間。現在、「高知大会実行委員会」及びその事務局を中心に、準備が順調に進められています。開会式、閉会式などのイベント内容、地域分科会開催地(ホームステイ受け入れ市町村)などについては、近々詳細が決定する予定です。ぜひ、ご期待ください!
現在までに確定している大会の概要は、以下のとおりです。

大会日程と概要 2011年6月28日〜7月4日

2011年6月28日(火)
高知市に到着【ホテル泊】
6月29日(水)
オープニングセレモニー&ウェルカムパーティー【ホテル泊】
6月30日(木) 〜7月2日(土)
地域分科会【ホームステイ】
7月3日(日)
クロージングセレモニー&フェアウェルパーティー【ホテル泊】
7月4日(月)
帰国、またはポスト・サミット・オプショナル・ツアーに参加

第1回大会実行委員会(6月2日開催)の様子



第20回サンフランシスコ/ベイエリア大会にて高知大会PR

尚、8月24日から開催された今年の第20回サンフランシスコ/ベイエリア大会には、高知県から大会実行委員や「よさこい踊り」のメンバー約30名が参加し、高知大会をおおいにPRしました。

(財)国際草の根交流センター 事務局長
森 信之
前のページへ戻る  このページの先頭へ

宮城大学、2009年のみやぎサミット大会の調査報告書を発表 [2010.4.27]


宮城大学宮原研究室の「地域交流事業ゼミ」(宮原育子教授)は、2009年の日米交流サミット・みやぎ大会を、宮城県の「外客誘致の実証実験」の機会と捉え、大会期間中にアメリカ人参加者へのアンケート調査を実施しました。 この度、その調査報告書をCIEのホームページに掲載しましたが、「満足度」に関するアンケート内容を抜粋して以下に紹介します。
アンケート結果分析
(国際交流における宮城の体験交流プログラムと外客誘致の可能性に関する調査報告書より)


(財)国際草の根交流センター 事務局長
森 信之
前のページへ戻る  このページの先頭へ

“フジヤマのトビウオ”、“マーメイド号”、“マッシー・ムラカミ”そして……
[2010.2.4]



1949年、全米水泳選手権大会に出場し、参加全4種目で世界新記録を樹立して、敗戦に打ちひしがれた日本国民を熱狂させた“フジヤマのトビウオ”、古橋広之進さんが昨年永眠しました。 古橋さんの大活躍は当時日本国内だけでなく、海外、特にカルフォニアの日系人に大きな勇気と感動を与えてくれました。

戦後まだ日本が占領下にあり、国交も結ばれていなかった米国のロサンゼルスで開催された大会に古橋さんが参加できたのは、水泳関係者やGHQ最高司令官マッカーサー元帥の特別な配慮、そして在米日系人の選手派遣費全額負担など様々な支援と協力があったからでした。
日本水泳選手団一行に自宅を提供し家族全員で温かいもてなしをされた、日系二世のフレッド和田さんもその一人でした。戦時中は敵対する二つの祖国の狭間で他の日系人同様大変苦労されましたが、日米の友好・交流に一生を捧げた英雄です(詳しくは高杉良著「祖国へ、熱き心を」を参照)。

1962年、堀江謙一さんはパスポートもビザも持たずに、マーメイド号で世界初の太平洋単独航海に成功。密入国でしたが、当時のサンフランシスコ(SF)市長が「コロンブスもパスポートは省略した」と、尊敬の念をもって名誉市民として受け入れました。
1964年には、日本人大リーガー1号として村上雅則さんがSF・ジャイアンツで活躍し、野茂、イチロー、などの日本人大リーガーのさきがけとなりました。
この2人を米国で家族同様に温かくお世話したのが日系人のボブ・井上さん(実行委員会の事務局長、メグミさんの義父)でした。ボブさんは多くを語りませんが、戦争中には強制収容所生活など大変苦労されたことと思います(当時の日系人の生活は山崎豊子著「二つの祖国」などに詳しい)。

さて、今年の草の根サミットは日米の交流の原点であるSFとその周辺で開催されます。
また、本年は日米交流の第一歩となった咸臨丸のSF寄港150周年の記念すべき年にあたります。CIEが共催する「草の根サミット」も第20回目の節目の大会となります。

SFは非常に魅力に溢れた粋な街であり、世界中の人種が暮らす(2003年の統計では白人は43.6%)国際都市です。美味しい料理を味わいながら、豊かな自然の中で日米の交流の原点であるSFで、150年にわたる日米の歴史を振り返りつつ、あらたな友情を育くんでいただけるよう、現地では盛りだくさんの企画を準備して皆さんの到着をお待ちしています。 是非ご期待ください。

(財)国際草の根交流センター 事務局長
森 信之
前のページへ戻る  このページの先頭へ

咸臨丸のつなぐ縁 (白石市からバレッホ市へ) [2009.10.30]


今から149 年前に、日米修好通商条約の批准書交換のため、その随伴艦として咸臨丸が米国に派遣されました。
咸臨丸は途中暴風雨に翻弄され何度も転覆の危機に遭遇しましたが、無事太平洋を横断できたのは、捕鯨船で豊富な航海経験を持 つジョン万次郎の働きが大であったと言われています。

さて、嵐で損傷した咸臨丸はその後サンフランシスコ湾内にあるバレッホ市の「メーア・アイランド海軍造船所」で約1ヶ月もかけて修復されました。しかし、日本で転覆した米国人船員を咸臨丸が無事送り届けてくれたことへの御礼ということでその莫大な修復費用は一切請求されなかったとのことです。

その後、日本に帰港した咸臨丸は、明治維新の時代の波に翻弄されながら輸送船として開拓使の物資や官吏の輸送などに活躍しました。
そして、1871 年に函館から小樽に向かう途中、座礁し、沈没してしまいました。
乗船していたのは北海道に移住する仙台藩白石の片倉家家臣団401 名でした。
歴史に「if」はありませんが、もし万次郎が乗船していたら、この危機を救ってくれたのでは・・・、
ちなみに、今年の夏にはみやぎ大会において白石市がホームステイを受け入れてくれました。

2010年は咸臨丸がサンフランシスコに入港して150 周年の記念すべき年にあたります。
サンフランシスコでは、「遣米使節団SF 入港150 周年記念実行委員会」を設立し、咸臨丸に関連する様々なイベントを企画していますが、CIEもジョン万次郎とゆかりの深い咸臨丸の記念事業に協賛し、記念すべき第20 回目の草の根サミットをサンフランシスコで開催することを決定しました。

10 月初旬に、咸臨丸に関係の深いバレッホ市を訪問し、姉妹都市委員会の皆様と会い、来年のホームステイ受入れをお願いしました所、快く引き受けていただきました。
来年の草の根サミットでは咸臨丸の歴史的足跡を辿りつつ、また、万次郎のゆかりの地を訪ねつつ日米交流を深めて行きたいと思います。

(財)国際草の根交流センター 事務局長
森 信之
前のページへ戻る  このページの先頭へ

アメリカ見聞録「2009春」 [2009.6.11]


1. ミドルクラスが消える?

最近は格差社会が拡大し、大富豪と最貧層が増えミドルクラスが減少していると感じます。 米国の繁栄を支え、CIEの活動を支えてきた豊かなミドルクラスは、昨年のリーマンショック以降の経済破綻で、大きな痛手を負い、現在は不要不急の出費は避け、オバマ大統領の「チェンジ」による景気の回復待ちです。
米国は欧州や日本に比し、公的な健康保険制度が無く、公的年金の給付水準も低いため、企業の年金や保険で補完していますが、不況なので解雇されると途端に生活不安に直面します。
注: 年金生活者は確定拠出年金(401K)のため株や債券が値下がると年金資産が縮小(この半年で約40%も減額)。また、失業すると日本のような国民皆保険制度がないため、高額な医療費を前に治療を断念することにもなり ます。一方、隣国カナダの知人からは、「最近心臓にペースメーカーを入れたが費用は電話代の6ドルのみ」と聞きました。税金は高いが、社会保障が充実しており、生活不安はないとのこと。

2. マスク文化について

出発前には、TVや新聞で、ニューヨークやサンフランシスコでは新型インフルエンザ対策のため、皆マスクをしていると報道していましたが、現地では殆ど見かけませんでした。 アメリカ人(欧米人)のマスクに対する一般的認識(カルチャー)は: 「マスクは自分を感染から防ぐことは不可能だが、他人にうつさないためには有効。従って、マスクは他人に感染させないためにインフルエンザ患者がするもの。インフルエンザに感染したら人に迷惑をかけないように自宅で謹慎するべき。」 私は持参したマスクは一度も着用せずに帰国しました。

2. オーバーウエイト

今回の出張中も気をつけて、ダイエット飲料や、ノーカロリー表示の食事に努めた(?)つもりですが、結果は3kg増で帰国。
いつも車で移動し運動不足もありますが、何故に太ってしまったのか? 米国の街角で見かける人も最近益々肥満度が増しているような気がします。
今回訪問した都市: レキシントン/ケンタッキー州、ボストン、ニューヨーク、ワシントンDC、トロント、シャーロック/ノースカロライナ、サンフランシスコ

(財)国際草の根交流センター 事務局長
森 信之
前のページへ戻る  このページの先頭へ


ルーニーさん、ハーグリーブスさん、タエコさんポール・マルヤマさんに「感謝状」贈呈 [2009.6.11]


2008年のケンタッキー大会のポスト・オプショナル・プログラムで、ワシントンDC地域、コロラド・スプリングス、ボストン・フェアヘイブンで、それぞれホームステイ・プログラムをコーディネートしてくださった方々に、CIEから感謝状を贈呈しました。ケンタッキー大会だけでなく、長年にわたり草の根サミット大会にご協力をいただいている方々です。
写真1: 感謝状を持つタエコ・フロイドさんとバレ・ハーグリーブスさん
写真2: 感謝状を持つポール・マルヤマさんと、南コロラド日米協会の理事の皆さん
写真3: 感謝状を持つジェリー・ルーニーさんとアヤコ・ルーニーさん。後ろはホイットフィールド船長の家

(財)国際草の根交流センター 事務局長
森 信之
前のページへ戻る  このページの先頭へ


米どころ・宮城の米プロジェクトとは? [2009.4.30]


2009年の草の根交流サミット大会の会場は「みやぎ」です。アメリカからの参加者は、宮城の雄大で力強く美しい自然、優しい県民性に出会うことになりますが、もうひとつ忘れてはならないのが「食」です。

宮城といえば、日本の米どころ。宮城の美味しいお米のルーツは、藩祖・伊達政宗公の大規模な稲作の拡大策にあったとか。品種改良の結果「ひとめぼれ」「ササニシキ」「まなむすめ」など、宮城を代表する美味しい品種が生まれ、全国的に有名です。でも、最近では鳴子の「米プロジェクト」で生まれた「ゆきむすび」が、その美味しさだけでなく、米を中心にした文化、生活全般にかかる地域づくりのモデルとしても注目されています。売ることを最優先する従来のコメ戦略とは異なり、米作りの情熱・意義を消費者に伝え、生産者と消費者の信頼関係を築き上げることを目指しています。農家の直面する課題を、地域全体で受けとめ、支えていくこの「米プロジェクト」は、NHKのドラマ「お米の涙」を通しても広く知られるようになっています。

詳しくは、ホームページで「鳴子の米プロジェクト」をキーワードに検索してみてください。あるいは、この草の根通信5ページで紹介している大崎・鳴子のキーパーソンで、まさしくこのプロジェクトの中心人物の一人、板垣幸寿さんの温泉宿「みやま」でゆっくりお話を聞いてみるのもお勧めです。

(財)国際草の根交流センター 事務局
轟木 ひろ子(洋子)
前のページへ戻る  このページの先頭へ


笑顔、笑顔、笑顔! [2008.12.19]


10月27日午後1時頃、ケンタッキーのルイビル中心街にあるシールバッハ・ホテルのロビーは、笑顔でいっぱいになりました。この日は、ケンタッキー大会の参加者が3泊4日のホームステイを終えてホテルに再集合する日。どの顔も見送ってくれたホストファミリーと楽しそうにニコニコ言葉を交わしています。 ホームステイに出発するまでは「英語でコミュニケーションできるか不安」、「心配で出発前の数日間は眠れなかった」という訴えをいくつも聞いていました。「そんなに心配しなくて大丈夫ですよ!」と、事務局側は自信たっぷりげに参加者にお伝えしていたものの、実は心の底ではそれなりの心配もしていたのでした。けれど、次々に到着する笑顔を見て、私たちの心配は杞憂だったことを確信。参加者の一人からは、「3日前にホストファミリーの車に乗って連れられて行く時は、『ドナドナ』の売られていく牛のように心細くて、逃げ出したい気分でした。でも、ホストの気遣いを感じ、単語を並べるだけでも気持ちが通じるのも体験し、最後は涙。普通の旅行ではけっしてできない貴重な経験でした」という言葉を聞き、実はフレッシュな(つまり草の根サミット大会初体験の)事務局職員である私は、大会の意義を改めて実感したのでした。
不慣れ故に行き届かない点も多かったと思いますが、「お客さま」ではなく、このサミット大会をいっしょに作り上げる「参加者」としてご協力くださった皆様、そしてこの大会を成功に導いてくださった寄附者やボランティアの皆様に、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました!

(財)国際草の根交流センター 事務局
轟木 ひろ子(洋子)
前のページへ戻る  このページの先頭へ


クラウディア・サンダースさんを知っていますか? [2008.7.31]


ケンタッキーと聞いて誰もが思い浮かべるのがフライド・チキン。駅前で見る白いスーツ姿のカーネル・サンダースさんの像には、子どもも大人も親しみを感じるものです。
でも、フライド・チキンのレシピは、実はカーネルさんの妻のクラウディアさんによるものだとか。ケンタッキー州のコービンという小さな町のガソリン・スタンドの一角で始めた食堂が大繁盛。後のフランチャイズへと発展します。

ルイビルから車で30分ほどのシェルビービルという街には、このクラウディアさんの名を取った「クラウディア・サンダース・ディナー・ハウス」というレストラン(ファーストフードではありません)があります。
お勧めはもちろんフライド・チキン。あまり油っぽくなくて美味です。ルイビル近郊にホームステイする方は、チャンスがあるといいですね。

(財)国際草の根交流センター 事務局
前のページへ戻る  このページの先頭へ


草の根交流を支える二人の女性 [2008.7.31]


今回は第1回大会以来、草の根交流サミットに大きく貢献されてきた二人の米国女性、タエコ・フロイドさんとバレ・ハーグリーブスさんをご紹介します。
お二人は、第1回大会(東京・京都で開催)において、在日アメリカ大使館の職員として、米国人約600名の日本招聘に尽力されました。その後、お二人とも米国に帰国されましたが、1993年に非営利組織「 The Manjiro Society」を設立し、バレさんは代表、そしてタエコさんは事務局長として、今日まで大会に支援・協力をされてきました。
お二人は大会に毎回参加し、貴重な意見やアドバイスを提言するとともに、大会を盛り上げ、交流を心より楽しむ、サミット大会の真の理解者といえます。

先日、ホームステイ受入れの打合せで、ワシントン郊外のフロイド家とハーグリーブス家を訪れ、ホームステイを体験させていただきました。ハーグリーブス邸には、室内のいたる所にサミット大会のお土産や写真が所狭しと飾られていました。夕食はご家族とともにベランダで手作りの家庭料理を楽しみ、星を見ながらの雑談、そして翌朝は鳥のさえずりで目を覚まし・・・サミット大会の歴史や魅力についての貴重なお話も伺うことができ、最高の贅沢を楽しむことができました。
二家族とも、ケンタッキー大会後のオプショナルツアーで、ホストファミリーとして、日本人のゲストを受け入れてくれます。

(財)国際草の根交流センター 事務局

前のページへ戻る  このページの先頭へ


ケンタッキーでは「ドライ」か「ウエット」か要注意 [2008.5.23]


近頃は大会の準備のため、ケンタッキー州の各地をレンタカーで走り回っています。数ヶ月前もレンタカーで、ルイビル市の「シールバッハ・ヒルトン(大会で宿泊予定のホテル)」から名所を巡り、道に迷いつつも夕暮れの山道を疾走し、世界遺産の「マンモスケーブ」洞窟近くのホテルに無事到着しました。

ふと自分の時計を見るとレストランの閉店時刻は過ぎており、あわててお店に入りウエイトレスにお願いすると、あっさりOKとの返事。ラッキーと思って、お店の時計を見ると、なんと私の時計から1時間も遅れています。この場所はルイビルと同じ州ですが、1時間の時差があったのです。さっそく渇いたのどを潤そうとビールを注文すると、「アルコールはない」と今度はつれない答え。ここは「ドライ・カウンティー」でアルコールは一切ご法度、お酒が飲める「ウエット・カウンティー」は、近くても30分以上山道を引返す必要があるとのことで、泣く泣く断念しました。

「ドライ・カウンティー」とはアルコール販売が全面禁止の場所のこと。ケンタッキーでは53もの地域が「ドライ」に指定されています。ちなみに全域で販売自由な「ウェット」はたった30で、「モイスト(お湿り=市域だけはウェットなドライ・カウンティー)」が16、その他「リミティッド(飲料を除く食事が売上げの70%以上を占めるレストランに限りアルコール飲料の提供が可能な地域)」などもあり、なかなか複雑です。

先日訪問したホームステイ開催都市のひとつバーズタウンのPRには、「ケンタッキー・バーボン街道の中心」とあり、近隣には著名なバーボン工場もあります。ところがバーズタウンはこれまで「ドライ」で、最近ようやく住民投票で「リミティッド」になったと、案内役のアリスさんから伺いました。アメリカには、かの悪名高き「禁酒法」(1920〜1933年)が残っている地域もあるので、左党の方はご注意願います。

(財)国際草の根交流センター 事務局
前のページへ戻る  このページの先頭へ


「アンクル・トムの小屋」と万次郎 [2008.03.14]


ジョン万次郎が日本への帰国を果たした1851年、反奴隷制の小説として知られる「アンクル・トムの小屋」が奴隷制廃止主義の新聞に連載されました。物語はケンタッキー州を中心に展開します。奴隷の若い母親イライザが、息子のハリーと別々に売られるのから逃れるため、決死の覚悟でオハイオ川の氷に飛び移り、氷伝いに対岸のオハイオ州へ逃れる場面があります。広大なオハイオ川を実際に目の当たりにすると、小説とはいえ「母の強さ」に感動を覚えます。

リンカーンは作者のハリエット・ストー夫人に会った際、「そうか、このしとやかな婦人があの南北戦争を引き起こしたのだな」と語ったといわれています。リンカーンもアンクル・トムもケンタッキーで生まれ育ちました。ケンタッキーは南部奴隷州で、その北部は自由州のオハイオです。
南北戦争時の合衆国南北戦争で分裂したアメリカには大統領が2人いました。北部のリンカーン、南部のデービスともにケンタッキー生まれです。中立を宣言したケンタッキーは最大の激戦地となり、多くの悲劇が生まれたのです。
教会で人種差別を受けた万次郎をホイットフィールド船長が守ったとも伝えられていますが、万次郎が奴隷州ではなく自由州のマサチューセッツ州で生活できたのは幸運だったのかもしれません。

(財)国際草の根交流センター 事務局長
前のページへ戻る  このページの先頭へ


万次郎ゆかりの街、フェアヘイブンを訪問 [2008.1.31]


昨年末、ボストン市南部の町フェアへイブンを訪ねました。そこには現在でもホイットフィールド船長の家や、万次郎が通った学校などが当時そのままに残っていました。

とりわけ、荘厳な雰囲気のミリセント・ライブラリーでは万次郎関係の資料をたくさん目にすることができて、大変感動しました。

帰国後、渡辺理事長に報告しましたところ、
「フェアへイブンには、両陛下が皇太子・同妃殿下時代の1987年にご訪問になられたことがあり、深い印象を受けられ、このご訪問をきっかけとして私たちの草の根交流運動にも深いご関心を寄せておられるということでした。当センターからは、今でも宮内庁を通じて最近の活動を記した記録をお届けしています」
とのお話を伺いました。

大変ありがたく光栄に思うとともに、微力ではありますが、草の根交流の拡大・発展のために少しでも貢献していきたいと、新年にあったって決意を新たにしました。

(財)国際草の根交流センター 事務局長
森 信之
前のページへ戻る  このページの先頭へ


サラブレッドのオークション [2008.4.8]


先月、財務省が「旧2円金貨」をオークションで、最高額3210万円で売却したとのニュースがありました。
最近はオークションという言葉も一般的になり、オークション会場に出かけたり、ネットでオークションに参加された方も多いのではないでしょうか。

私が子供の頃は、近くの青物市場でセリが行われていて、よく見に行ったものでした。 以前、アメリカ駐在中は、アンティークのオークション会場に良く出かけました。
数字を機械的に読み上げるだけの単調なオークションもありましたが、オークショナーがステージで独特の口調とリズムで軽快に数字を連呼した後に、小槌を一発大きく叩き成立を告げる・・・・まるでビートの効いた音楽を聴いているようでした。
オークションの雰囲気と熱気に陶酔しながら、狙った品物を競り勝ったときの熱狂と快感、そしてその後のホロニガイ後悔も今は懐かしい思い出です。

今年の「日米草の根サミット」はケンタッキー州で開催します。

開会式典などを予定している、「キーンランド競馬場」は周囲をサラブレッド牧場に囲まれ、紅葉散策なども楽しんでいただけることと思いますが、世界中のサラブレッドファンが集まる「オークション会場」も是非見ていただきたいと思います。
昨年訪れたときには、その軽快なビートの効いた声に惹かれ会場内に入りましたが、飛び交う数字が一桁も二桁も高く、雰囲気だけを楽しんで帰らざるを得ませんでした。

10月は競馬シーズンのため、残念ながら「草の根サミット」の時、サラブレッドオークションは閉会しています。
しかし、サミット実行委員会の特別な配慮で、ウエルカムパーティーにサラブレッドのオークショナーに特別出演いただくことになりました。

「草の根サミット」にご参加いただき、本場のオークションの醍醐味を是非楽しんでいただきたいと思います。


(財)国際草の根交流センター 事務局長
森 信之
前のページへ戻る  このページの先頭へ


事務局からのメッセージ 「運命について」 [2007.12.27]


CIEは本年11月17日、無事15周年を迎えることができました。
前身の「ジョン万次郎の会」設立から17年。第1回「草の根交流サミット」は、1841年の万次郎漂流から150周年の1981年に東京・京都で開催、本年6月には、アメリカ人250名を能登に迎え、第17回大会を盛大に開催することが出来ました。

その間、バブル経済の崩壊や9.11同時多発テロ事件による広島大会1年延期など波乱も経験しましたが、今日まで無事活動を継続し続けることができましたのは皆様の温かいご支援のお陰と衷心より感謝申し上げます。

CIEはジョン万次郎とホイットフィールド船長の偉業と友好を称え、その生き方に学び、「草の根交流で平和な世界」実現を目標に今後も活動を続けて参ります。

運命に生かされ、運命に生きたジョン万次郎

1841年、万次郎は14歳の時に土佐沖に漁に出て嵐に遭遇し漂流。
黒潮で遥か沖合に流され絶望の中、運よく鳥島に漂着。約半年にわたる無人島の生活で、いよいよ水も食料も枯渇し絶体絶命の時に、米国の捕鯨船が現れ救助される。
捕鯨船のホイットフィールド船長は万次郎の人柄と勤勉さに惹かれ、米国東部の捕鯨の町フェアヘブンに連れて行き(米国で最初の日本人ホームステイ)、そこで学校に通わせ教育を受けさせる。
10年間にわたる米国での幸運な生活の中、お世話になった船長や街の人達に対し、捕鯨仲間が希求している日本の開港で報いたいと死を賭して鎖国の日本への帰国を決意。
万次郎は慎重に調査・検討し、当事薩摩藩の支配を受けていた沖縄に上陸。
薩摩藩では幸運にも開明派の島津斉彬が城主に就任直後で、自ら万次郎に接見し、世界事情を熱心に聞くなど丁重に受入れ遇する。
土佐に帰郷2年後の1853年にペリー提督が黒船で浦賀沖に来航。
徳川幕府は土佐にいた万次郎を米国を知る唯一の日本人として急遽江戸に呼び出し幕臣に登用。
万次郎は米国の意図は日本の占領では無く、開港が目的であると幕府首脳に必死に説明し、開港を提言。
徳川幕府は翌年「石炭・食料の供給と難破民の救助」を認める「日米和親条約」を締結。

19世紀半ばにアジア各国は不幸にも欧米の列強による侵略や支配を受けたが、日本は国家分裂や植民地化の危機を回避し、明治維新を経て、今日世界の先進国に。
万次郎は運の強い人だと思う。日本は運が良かったと思う。
CIEも、万次郎の強運を受け、幸運に恵まれた17年であったと思います。

歴史に「IF」はないと言いますが;
もし、万次郎がいなかったら?
もし、万次郎の帰国がもっと早かったり、もっと遅かったら?
もし、薩摩城主が島津斉彬でなかったら?
もし、鳥島がなかったら、また捕鯨船が現れなかったら?
もし、救助したのがホイットフィールド船長でなかったら?

第18回大会はケンタッキー州で2008年10月22日から開催

ケンタッキー州では大会実行委員会長のマーサ・コリンズ前州知事を中心に準備が順調に進んでいます。ケンタッキーの自然と名所観光を堪能しつつ、アメリカの人と、歴史・文化を知り、個人的友好関係を築ける魅力的なプログラムを、日米協働で企画・開発しておりますのでご期待願います。

 
先日ケンタッキーに行き、ケンタッキーフライドチキンの店で$5.50 (TAXを含め$7.40)
の2ピースコンボを注文。

ヌヌ!!
何だ、この大きさ!日本と同じで、同じでない。



これから、毎月、時々の話題や、財団の活動などを取上げ報告いたします。

(財)国際草の根交流センター 事務局長
森 信之
前のページへ戻る  このページの先頭へ